南房総・鴨川市小湊温泉の旅館 満ちてくる心の宿 吉夢霜月によせて・・・。

吉夢通信満ちてくる心の宿 吉夢の日常を
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イメージ:吉夢通信

2021.11.20女将通信

霜月によせて・・・。

銀杏の木は、鮮やかな黄金色に染まり、
エレベーターから見える海面は、
美しい程、透明度が増してまいりました。

館内は、すっかりクリスマスバージョンに変わり、
お越し下さるお客さまに、ロビーのクリスマスツリーの前での家族の記念写真をと頼まれる事が、
大変多くなりました。

今月は、山梨より講師の先生を招き、
有意義な研修会を、開く事が出来ました。
勿論、接客係さんは、1人の欠席者も無く、全員出席。
実のところ11月は、県内の修学旅行の受け入れがございまして、
客室係さんは、普段の勤務よりも早い5時出勤で、朝食の仕度やサービスにあたり、
まだまだ皆若い子ばかり、朝晩の寒さ増す、
それでなくても、布団の中が恋しいこの時期、
早くに上がって、ベットへ潜り込みたーい気持ち一心の子達ですが、心配は無用!
皆輝く目で真剣に、先生の話を聞き、質問まで飛び出し、
ロビー、お食事処、朝食バイキング場の実習もこなし、
先輩ルームさんも、こういう機会を設けて頂き良かったと、話して下さり、
私も、また日々を省み、精進に一層の磨きをかける機会を頂戴致しました。
色々なご縁や、沢山の方々のお支えで講習会を開く事が出来、
終わりの言葉の折には、何故か万感胸に迫るものがございました。

社長や私は、綺麗事では無く、吉夢の為に昼夜働いて下さっている社員さんに、
どの様な形で、守り、恩返しをして行くか、義母の会長からバトンを渡されて来て以来、
時間を掛けて、折々に話し合ってまいりました。
札束でほっぺたを叩ける程のお給料を、お渡し出来る訳でも無いのですから、
何か季節のお祝いには、夏の忙しい時期には、会議の折にはと、
ほんの少し、気持ちばかりのパンや和菓子、頂き物のお菓子をお渡しし、
昨年来から中止しておりますが、夏仕舞い、新年会等では、
社員さんが、ワクワクする様な物を、少しでも用意してと心を砕く。
ですので、話が長く反れましたが、
おもてなしの講習会の折も、朝早くから起きてお腹も空いているでしょう子達に、
おにぎりでも作って、食べて貰おうか?等と・・、起き抜けに考えて、
結局その日は、コンビニのパン等に落ち着きましてたが、
これは私の役目と、折々やらせて頂いてまいりました事を、
講師の先生が、「これは当たり前ではないですよー!、皆さんは愛されてますよー!」と、
最後に話して下さり、もう々、涙腺は崩壊寸前でした。

今までそうであったように、神様は、良い事も、悪い事も全て目の前に、
証明してお示し下さり、お教え下さる。
なので、人が見ていようが、いまいが、足りないながらも、
半世紀近い歳月を小湊という土地で、やってこれたのではと、感慨深いものがございます。
冬が近づいてまいりますと、海の透明度は増し、
山に落ちる夕陽も、オレンジ色に海面を輝やかせながら、沈んでまいります。
だから今日も、大自然の懐で、生かされ許され、深い感謝!!
・・・以外の何ものもないのです。

『人は生きてきたように死んでいく』と、
大阪大学医学部を卒業し、日本の緩和ケアの草分け、ホスピス財団の理事長でもあられる、
柏木哲夫医師が、語っておられます。
アメリカから帰国後、淀川キリスト教病院の精神科の医師として、
末期がん患者さんの色々な心の問題を相談される機会の後、
アメリカでの経験を活かし、日本で始めてホスピスプログラムをスタートさせ、
今まで20年以上をかけ、2500人以上の患者さんを看取ってきたと、話されています。
そうして実感しているのは、人は生きてきたように死んでいくということです。
しっかり生きてきた人はしっかり亡くなっていかれますし、
周りに感謝して生きてこられた人は、我々にも感謝をして亡くなる、
不平ばっかり言って生きてきた人は、不平ばかり言って亡くなっていくのだそうです。
このことは、よき死を迎えるためには、よき生を生きなければいけない、
ということを教えてくれていると。
それでは、よき生とは、物事には必ずプラスとマイナスがありますが、
物事のプラスの面をしっかり見た生き方をしてこられた方々、
それから、感謝というのはとても重要なキーワードで、家族に対して、周りの人たちに対して
「ありがとう」と言いながら、周りの相手からも、「ありがとう」と言ってもらい生を全うできる、
それもまたよき生と言えて、その二つに集約されるような気がして仕方がないと、
そういう生を全うする人を、私は人生の実力者と呼んでいます。と記しておられました。

『人の寿命は無常なり。
出づる気は入る気を待つことなし。
風の前の露、なおたとえにあらず。
かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習いなり。
されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。』

人の寿命は無常である。
やがて吐く息ばかりになり、息を吸うことができなくなる。
人の命の儚さは、風に吹かれる朝露よりも儚いものである。
賢い者も、愚かな者も、老人も、若者も、いつ生命を失うかわからない儚さが世の常である。
だから、人はまず死に対する心構えについて習い、
その後に他の事を学ぶべきなのである。
(日蓮大聖人の御遺文より)

今年も、日蓮宗大本山誕生寺さんでの、お会式での万灯行進、お稚児行列は、昨年に続きまして中止となり、例年ですと、館内は朝からバタバタと忙しいのですが、何か少し寂しい1日でした。
来年には、開催されることを、心より祈りまして、不器用でも、神様はいつも全て見ていて下さると信じて、陰日なた無く、明るく生きてまいりたいと願う、11月のこの頃でございます。

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