吉夢通信
如月によせて・・・。
三寒四温、庭からは沈丁花の香り、
梅もここ数日の暖かさで、真っ白な花を沢山つけております。
2月も、あっという間に駆け抜けてしまいますので、
今から、パソコンに向かっております。
連日、いじめ、児童虐待、体罰の報道、飲食店でのSNS拡散、
私達は、豊かさ、利便性と引き換えに、
何か大切なものを、忘れてしまってきているのでしょうか。
人生60も半ばを過ぎますと、
生きてきた道のり、今、生かされている意味など、
気づかされる場面に、多々遭遇いたします。
その中で、どのように今の自分を使わせて頂くのが良いのか・・、
より向上出来るのか・・自分らしく生きれるのか・・。
1年に春・夏・秋・冬があるように、
人生も、蕾の時、綺麗な花を咲かせる時、やがて花や葉を落とす時と、
それこそ、これだけは万物平等に、散りゆく時に向って歩いているのでございます。
だからこそ、許され、生かされて在る時こそ、
互いに補いあい、助け合いながら、
歩みを進めて行かなければ、勿体無い気がしてならないのです。
平成の御代も、あと数か月、
先日、東京へ行った折、渋谷で開催されておりました、
天皇皇后両陛下写真展へ、寄らせていただきました。
結婚前から約60年にわたるお二方の、いのちの旅の足どりを、
添え書きと共に、観させていただきました。
いまだ皇室と国民の隔たりが大きく、
皇太子と平民の婚姻などもってのほかと、
今では考えられぬ事ですが、母君さまはじめ皇室の方、
また「象徴となるべき人が自分のしたいことをするようでは、
国民の尊敬と崇拝をえることはできない」と、国会答弁でも反対の旗印が上がる中、
当の正田家も「あまりに身分が違いすぎる・・・。」と3度のご辞退と・・。
ご結婚までの困難に限らずこの61年、
ご公務、子育て、国民への心の寄せ方など、
守るべき伝統と変えるべきことの、
大きなことから小さなことまでおふたりで、
話し合って決めてこられたと、おっしゃられています。
最近は天皇陛下の杖のように、必ず隣におられ、
お支えしているご様子を国民の一人として見させていただき、
夫婦とはこうあるべしとお示しくださり、
皇室と私共の距離をぐっと縮めて下さった皇后さま。
そして、軽井沢の出逢いから、この方と見抜き、
一生の伴侶にお選びになった天皇陛下の千里眼ともいえる直感力。
そのようなお二人を仰ぎ見ながら、
平成の時代を共に歩めた私共は、幸せ者だったとの強い思いを持ち、
久しぶりの渋谷の雑踏の中、急ぎ足で帰りました。
今月は、JR東日本の周遊型臨時寝台列車「四季島」を、安房小湊駅でお出迎えや、
日蓮宗の荒行からお帰りの地元の修行僧の方の帰山式、
誕生寺のお山の降誕会など、盛り沢山の行事があり、
早春の海には、わずかづつですが、
ひじきが波間に見え隠れしております。
寒い風にも春の息吹が感じられ、
春はもうすぐそこに・・・今日も生かされ、許され大きな感謝!!
語らいを重ねゆきつつ気がつきぬ
われのこころに開きたる窓
{ 天皇陛下 婚約内定の折の御歌 }
≪上流旧華族以上の家から、妃をとらないとしたことは、
遺伝的な考慮ばかりでは決してなかった。
国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。
これは旧華族上流以上の人には、求められない姿であった。
現在、美智子の、常に日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、
この自分の考えが間違っていなかったと感じている≫
天皇皇后両陛下肖像画
(野田弘志画伯が4年の歳月をかけて制作)
たまきはるいのちの旅に吾をまたす
君にまみえむあすの喜び
{ 皇后陛下 ご成婚前日に詠まれた御歌 }
≪「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」と、
お話し下さった時、私は今までの自分の見聞の中にも、
読みました小説の中にも、このように寂しい言葉はなかったと思いました。
そしてその中を二十五年間お歩みになっていらした東宮さまのおために、
力をつくして、あたたかい家庭をお作りしたいと思いました≫