吉夢通信
夜長月によせて・・・。
生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 (夏目 漱石)
台風15号の風の強さに驚いたのか、毎年この時期になると教えずとも咲く、
彼岸花の開花が、今年はだいぶ遅れました。
家が揺れ、窓を叩きつける風の音に、眠れぬ夜を過ごした夜半には、
電気も途切れ、真っ暗闇の世界となり、
それから起こった全ての出来事に、右往左往致しました。
電気が通じず電話も、携帯も使えない、テレビも見られず、
充電が出来ても、おおもとからの電波が来ず、携帯も使えずの有様、
当然外の様子が判らなく、周りがどのようになっているかが分からない、
ひとつの台風がもたらした痕跡は大きく、
日常という生活が一瞬でと、自然災害が起きる度に聞かされるこの文言が、
いざ自分に降りかかりますと、なんとも弱いものです。
11日の夜7時を待たずに、電気が通り、
皆の歓声が電話口から聞こえ、
帰って来たばかりの社長も、そのままUターンして、ホテルへ2人で戻りました。
何もかもが初めての経験、何もかもが想定外の出来事に、
たじろぎながらも、傷んだところを早急に改修し、
1日も早い営業再開に向け、業者さんを含め、
皆で復旧作業にあたり、14日には、すべての条件が整いまして、
はれて営業再開の運びとなりました。
毎日、予約のキャンセルが続く中、
全国から千葉へお集まり下さり、暑い夜、寝袋生活なさっていらした、
電力会社さんの復旧作業員の皆さんの、受け入れをさせて頂き、
せめて温かいお風呂、冷房の効いたお部屋の布団で、
お休み頂けましたことは、
常々社長と話しております、吉夢の存在の意味にも通じることと、
10日間、お帰りの夜は遅く、朝の出発は早い皆さんを、少しでもお手助け出来まして、
それは、変え難い有難い経験でございました。
まだまだ台風による被害は、千葉の各地で甚大で、
情報が入らなく、復旧後、毎日テレビで見せられる映像で、
初めて、身近な南房総市や館山、君津や木更津と言った、
なじみの深い場所の被害の大きさを知り、私共も大変驚いております。
昨日もご宴会場の外で、御礼ご挨拶の待機中、
「我々の地域は、幸いにも台風の被害は無かったが、
千葉の復興のお手伝いに飲みしょう!」と、
マイクより聞こえてまいりました。
また、常日頃お世話になっている旅行会社さんや関連の皆さま、
以前お泊まり頂いたお客さまやお知り合いの方が、
わざわざお見舞いにお越し下さったり、
ご連絡や郵送でお見舞いをお送り頂いたりで、
ここのところ毎日のように、人の情けの有り難みを、実感しております。
順々に、お礼状書きを進めておりますが、
先に、この場をお借りいたしまして、様々な皆さまに、
ご心配、お見舞い、激励のお言葉を頂戴致しまして、
私共も勇気百倍!!
賜りました数々のご厚情に深く御礼申し上げ、
これからも、皆さまに気持ちよくお寛ぎ頂ける宿を目指し、
日々精進してまいりますので、お導き、ご贔屓賜りますよう、
伏してお願い申し上げる次第でございます。
秋の夕陽は、海面をオレンジ色に染め色彩を放って、山へと沈んでまいります。
憂い事多い日々なれど、今日も生かされ許され大きな感謝!!
以前、万引き家族という映画を見ましたが、
今回私が経験致しましたのは、『車中家族』
初孫を8月に授かり、1ヶ月と1日での台風の襲来で、
大人は何とか我慢が出来ますが、乳幼児にはこの暑さは堪えると、
早速、日中車へ避難、夜中に家中の窓という窓を開け放し、戻り休むという生活。
翌日、ガソリンを求め、勝浦の在の辺りに目星を付け、
これで無かったら、ガス欠となるという時、
神々しく輝く??一軒のガソリンスタンドを発見し、無事満タンで胸を撫で下ろしました。
夜中2時頃、娘が車が静かにやって来て、怪しい人が2人降り、
何やら自宅を懐中電灯で照らしていると話し、
孫を抱えてコソコソ3人で、家に戻った翌朝5時に家の直ぐ前の電柱に作業の方が見え、
朝8時には、自宅に電気が戻り、感激の一瞬を味わうと、
夜中に懐中電灯で照らしたのは、我が家では無く、
その電信柱だったのは、後で知る事ですが、
夜中の2時に電信柱を点検にみえ、翌日作業は早朝5時からと、
電力会社の復興作業員の皆さんには、昼夜を分かたずの作業に、
本当に頭の下がる思いでした。
その後、孫にあせもをつくらせず、新米パパにお返し出来た事は、
幸いな事で、新米ばーばは、とことん疲れ、
噛んだ唇から出来た口内炎に暫く悩まされた事を、
付け加えさせて頂きたいと存じます。