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吉夢通信

吉夢通信

霜月によせて・・・。

2019年11月21日
posted by 吉夢 女将

朝晩めっきり寒くなり、お布団の恋しい季節となりました。

暑い々と言っておりましたら、大好きな秋を楽しめずに、

朝晩冷え込む晩秋となり、いよいよ、

来月は師だけでは無く、私も走る、師走月となります。

 

毎年の事ながら、一年のなんと速いこと、

年を重ねて尚更、その思いが強くなってまいりました。

そして、今年の夏以降の、台風災害、

その後に追い打ちをかけるように、豪雨被害と、

15号は千葉の被害が甚大でしたが、

翌月は少し回復して、お客さまが戻っていらしたと思えた時に、

19号で、いつもこちらにみえる栃木、群馬、長野のお客さまが、大きな被災にあわれ、

自分のところの事ばかり、心配していられなくなりました。

 

その様な中ですが、先日、秋も深まった盛岡は岩手、そして仙台へと行ってまいりました。

当初10月の予定でおりましたが、

ご存知のように、台風の被害に遭われた旅館さんもあり、

11月に日延べとなりましての、研修旅行でしたが、

ちょうど、紅葉の時期と重なり、見事な紅葉見物が車窓から、

また直に観ることが出来ましたのが、今回の大きな収穫となりました。

 

平泉を本拠地に、東北一帯を治め、栄華を極めた奥州藤原氏、

清衡により建立された中尊寺金色堂は、

屋根、内部の壁、柱などすべてを金で覆い、

まばゆい金と螺鈿の細工に、現代に暮らす私共が感動するのですから、

昔の方は尚更の事、目を奪われ驚かれたと思われます。

その政権の基盤は、奥州で豊富に産出された砂金を元に、

北方貿易を盛んに行い、奥州藤原氏の100年に及ぶ繁栄を、

磐石なものにしたとありました。

 

栄枯盛衰世の習いと申しますが、

栄えたり衰えたりするのは、当たり前、当然の事と捉えなさい、

ということに行き着くのでございましょうか。

吉夢も、来年お陰さまで 「90周年」 を迎えさせていただき、

また新たな一歩を踏み出します。

誕生寺さんの境内の茶店から、先代の父が興しました吉田屋旅館となり、

私が嫁いだ頃は、ニューこみなとホテル、

新築オープンしまして、ニュー小湊ホテル、

吉亭・夢亭・中央館が一緒になり、満ちてくる心の宿 吉夢と、

現在の名称だけでも、これだけ変わってまいりまして、

その90年の歳月の中には、その折々のご先祖さまの思いや、

ご苦労が偲ばれるのでございます。

創業当時の金銭的なご苦労、(これは今もってと書き添えます。)

木造からコンクリートへの建築、

父の、6人の子供を残しての逝去、その後の母の細腕繁盛記ばりの奮闘、

このブログには、とても書ききれない、

山あり谷ありが、ございまして、現在に至っております。

以前、100年続く老舗企業の上位3位に、旅館・ホテルがあると、

社長に聞いたことがございます。

全国各地にある旅館、ホテルさんも、

その折々の時代に、湯治場から旅館・ホテルへ等、

様々なその時々の、ニーズを捕らえて変化をしながら、

存続して今に至っている事と存じます。

今年、平成から令和へ元号は変りましたが、

私共も変えていくものと、変えずに大事に扱っていくものの、

取捨選択を毎日繰り返しながら、時代に対応し、存続し、

次の100年を目指して行きたいと祈るこの頃、

諸行無常を肌身で感じ、今日も生かされ大きな感謝!!

  

先日、まいりました東北で、

仙台にお住まいのお若いガイドさんから、

震災のお話、聞かせていただきました。

 

印象に残りまして、教訓にもなりますが、

地震の折は、遠くに逃げるよりも、高い所に逃げろ!!でした。

津波の奇襲を考えましたら、出来るだけ遠い所に、急いで逃げたくなりますが、

車は災害の時には、非常に危険な乗り物になるそうで、

海と共に生活している私共には、

学ぶところ多々のお話を、お聞きする事が出来ました。