吉夢通信
花見月によせて・・・・。
所用で、清澄のお山に上がってまいりました。
山々は青葉、若葉に萌え、
暫く走ると、緑の山の合間に、紫の藤の花がなんとも美しく、
あいにくの雨も、木々は慈雨と喜んでいるように見えました。
清澄寺は、
千年杉、かやぶき屋根、日蓮大聖人が勉学に励み、
成人なさり、始めてお題目を唱えた御聖地、
いつ伺っても荘厳なたたずまいに、
心が落ち着き、洗われる名山だと、
私はいつも思わせていただいております。
私共の先代も半世紀以上前に、
誕生寺と清澄寺を、ロープウエイでつなげたいとの大きな構想を描いていたと,
母が、良く話して聞かせてくださいました。
生物学者の福岡 伸一氏が書かれたものに、
「生命とは何か」という問題を解明するために生物学者になられて、
ミクロの分野で研究を続けてこられ、
多くの科学者は『生命とはミクロなパーツが寄り集まってできた精密機械のようなもの』
と、とらえたが、パーツを組み合わせただけでは生命は立ち上がらないと・・・・、
生命は機械ではなく、誕生してから38億年間、
長く続けるために、自らを頑丈に作らず、
ゆるゆるやわやわに作っておいて、
絶え間なく自らを壊し、新しい物質に作り替えながら、
外界と隔絶されてみえる皮膚でさえ、
ミクロのレベルでは穴だらけで、
常に環境と水分子とやり取りし、
自分自身を保つというあり方を選び、
家やビルなど人工的な建造物はそのままにしておくと、
風化してしまうが、生命は細胞レベルの自転車操業的な、
アンチ・エイジングをしているので、
昨日の私と今日の私が違うことを中々気づかないが、
いつもちょっと新しくなっている昨日とは違う自分がいる、
固体に見える体でさえ、一瞬々その時に作られ、
『流動しているもの』で、
いまの「私」というものは、いましか存在しない、
人生の預金通帳は、残高がいくらという結果ではなく、
出入りのプロセスが大事で、
すべての生命は、網目のようにつながり合って、
存在しあっていると、書かれていた。
(私の文章は稚拙ですが、本はもっと、緻密に書かれていて興味深いものです。)
昨日、蕾だった花が、今朝は咲き、
ツバメが今年も舞い戻って来る季節となりました。
吉夢も常に、そとからはあまり変らなく見えても、
常に新陳代謝、アンチ・エイジングを繰り返しながら、
魅力ある宿を創造し、作り上げて行きたいと、
強く切望するものでございます。
今日も、大自然の大きなふところの中で生かされ、
一喜一憂しつつも、
一喜にも一憂にもこだわらない、
そのような生き方が、大事なのだと思える今日この頃です。
新人さんも、はや1ヶ月が経とうとしてますが、
最近は笑顔も見られるようになり、
良く頑張ってくれてます。
5月のゴールデンウィークを共に駆け抜けたら、
神戸、大阪方面へと2班に別れて社員旅行、
新人さんも、皆出席!!
一緒に楽しく、行きましょう♪
今日も生かされ、深く感謝!!
われわれは人生という大きな芝居の
熱心な共演者だ。(ドイツの作家 ハンス・カロッサ)