吉夢通信
時雨月によせて・・・。
朝晩めっきり寒くなり、布団の中が恋しい季節となりました。
吉夢のルームさん(客室係)は、バイキングの当番になりますと、
早朝6時までには出社して、朝食の用意、仕度にはいります。
前日遅い宴会ともなれば、寝る時間を割いて、眠い身体を奮い起して、
お迎えの車に飛び乗ります。
私も、30数年前、嫁に入った頃は、フロント会計の仕事が主でしたので、
社員さん達と、同じ寮に住み、特に寒い季節は寝坊しないように・・、
若さで何でも頑張れた時でした。
起る出来事に何も無駄は無いと教えられてきましたが、
まったくその通りだと、今思い返してみても、そのように申し上げられます。
その時辛いと思える事は、楽しかった事よりも、良き思い出となり、
更に自分がステップアップ出来ましたし、
現在の自分に大切な経験だったと申せます。
当時、事務所に貼ってありました日蓮聖人の聖語、
「 艱難 汝を玉にす 」
若さだけで、でこぼこだらけの私も、
色々な経験でいつか玉のような心に慣れると、
只々、愚直な程、真っ直ぐな気持ちだけで、やっておりました。
当初、次男に嫁ぎました私は、
家族の中で少しでもお役に立てれば良いと、
それが私の役目だと、日々思い仕事をしてきましたので、
まさか主人とホテルの要になろうとは、
当時つゆほども思った事はございませんでした。
現在のように人も居りませんでしたので、
朝の会計、日計表を出しますと、
下に下りて、家族の食事の仕度、社員さん60名の賄い作り、
そうこうしてますと、お昼の会計業務、終わりますと家族のお昼、
3時となり、お客さまのお迎えが始まります。
売店、宴会の時間になりますと、宴会場のスリッパを整え、夕食、
二次会の乾き物のオードブルやおにぎり作り、
一日は、あっという間に過ぎて行きました。
それが今の私の、働いて下さる社員さんへの思いや、大きな感謝につながっており、
分からないなりに、出来ないなりに、無我夢中で働いた時期でした。
『 若いうちの苦労は 買ってでもしろ 』
生家の兄に背中を押されて杉並より小湊へ嫁ぎましたが、
本当に若い時は、頑張れるものですし、それが時期が来ると良い堆肥になり、
熟成されて行きます。
良く社長の母には、「 私の仕事を見てください! 」と、
言える様な働きをする様、事あるごとに教えて頂きました。
社長も、現地に居る時はフル回転で、朝は社員さんの送迎から、
夜は宴会場のご挨拶、海女芸者さんの勝浦までの送りやクラブを助け、
一日中走り回っておりました。
一週間おきに、一営業マンとして、
長野、神奈川、静岡と、営業セールスに廻り、
年に春、秋2回、当時社長の母を乗せて、東北を1週間かけて、
グルリと営業に廻り、今思えば仕事をしながら、
親孝行もさせて貰えたと、思い出しては、話しております。
今月は、なにやら私の日本昔話になってしまい、お許し下さい!
そのような若い時があり、今現在に結びついていることが、
無駄では無かったと、しみじみ思える年になりました。
それは、私達に限らず、どこのお宿の経営者の方々も、
似たり寄ったりの経験をされていると思われますし、
多種の自営業の家も、皆さん同じ思いをされていると存じます。
館内は、観光シーズンの10月らしく、団体のお客さまが多くおみえで、
有り難い事に各地からバスで、お越しいただいております。
今、背高泡立草が勢い良く、野原や路地を黄色に染め、
コスモスが風に吹かれて揺れる中、今日も大自然の営みに生かされ、深い感謝!!
【 われは草なり 】
われは草なり 伸びんとす
伸びられるとき 伸びんとす
伸びられる日は 伸びるなり
われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年変わらず 緑なり
緑のおのれに あきぬなり
われは草なり 緑なり
緑の深きを 願うなり
ああ 生きる日の 美しき
ああ 生きる日の 楽しさよ
われは草なり 生きんとす
草の命を 生きんとす
[ 高見 順 作 ]