吉夢通信一覧 女将
祝400回目のブログアップ
記念すべき400回目のブログアップは12月の夕日になりました。
撮影時間は16:25ごろ撮影
この夕日を撮影したのは経理部長がきれいな夕日が出ているよ、と教えてくれたからです。
接客中だったのにもかかわらず、中座して教えてくれました。
なんて有難いことなんでしょう。
この様にして社員みんなで協力して作り上げているブログなのでした。
霜月によせて・・・・・。
ここのところ、めっきり日が短くなってまいりました。
今日の夕日は綺麗だからと、
カメラを取りに急ぎ事務所へ、いざ・・・と向けると、
残念にも、秋の夕日はつるべ落としとは、良く言ったもの、
あっという間に落ちていて、何度かシャッターチャンスを逃してしまいました。
今年は、1月から公私にわたり、激動の1年の始まりでした。
まだ、あとカレンダーは1枚残っておりますが、何しろ色々有りすぎまして・・・。
3月の震災は、私に想定外の問題を、
これでもか!これでもか!と、見せ付けてくれ、
これからの厳しい季節、東北の被災地の方々を思いますと、
私などが、風評被害などと、弱音をはいてはいられません!
今年は、日本各地はおろか、
世界中が揺れ、また水の被害にみまわれた年でもありました。
当たり前=当然=普通のこと、ありふれていること。
ちなみに、日頃から私が、一番使わない言葉でしょうか。
何で?と・・・と、問われても、何ででしょうか?
1つ言えるとすれば、
当たり前なんて、何一つ無いと、50数年否、60年近くを生かされ、
身を持って感じる事だから、理由などわからないのです。
そして、今年はまた更にその思いを強くさせられる出来事ばかりに遭遇し、
体験を積ませていただきました。
最近、娘が教えてくれた、
73歳の加山雄三さんの年齢を感じさせない若さの秘訣は、
「三冠王」ならぬ・・・『人生の三感王』
1 何事にも関心を持つこと
2 いつの時でも感動すること
3 全ての事に感謝することを忘れないこと
そうですよね!そう生きたいですね!
常に反省からの学び、
そして、いつもどんな時でも感謝を忘れずに、
前を見て、進んで行きたいと思う今日この頃です。
1日1感謝!!
もしこの地球から夜空の星が見えなかったら、
現在の人間の宇宙への理解というのはどのようになっていたでしょうか?
現在の科学が解き明かしてきた宇宙の姿には程遠く、
また、人間の想像力も今ほど豊かに発達しなかったのではないでしょうか。
人々は長い間星を見上げることで、
「自分たちはどんな世界に住んでいるのか」を考えてきたことがわかります。
だから星空がみえていて、ほんとによかった!と私は思います。
現代の天文学は、この広い宇宙が、
実は「自分につながっているんだ!」ということを、
私達に教えてくれました。
私達の体をつくっている「元素」は、
星の死がなければ、生まれなかった、ということを。
そして、「宇宙を知ることは、私たち人間を理解すること」
( 山梨県立科学館 天文担当学芸員 高橋 真理子女史 書評より抜粋 )
( 天台宗 荒 了寛師 )
神無月によせて・・・・・。
澄み切った夜空に輝く満天の星の、
なんとも綺麗な季節となりました。
昨晩は、『 千葉県外房・中房総宿泊取材会懇親会 』が、開かれ、
多くのメディアの記者の皆様においで頂き、
鴨川市・勝浦市・市原市・いすみ市・睦沢町・長南町・御宿町の6市長・町長様ご出席のもと、
賑やかに開催されました。、
私も、緊張の中ご挨拶させて頂きましたが、
3月の震災以来、
まだまだ風評被害等で立ち遅れている、
千葉県観光業界の状態をお伝えし、
何とか皆様のお力添えを頂きたいと、お願いいたしました。
年々厳しくなっている観光業で、
もう十数年前のバブルの時のような好景気は、
二度と戻って来る事はないと思われますが、
今日出来る、いますぐから始められる事柄を大事に、
即やって行こう!と、皆で話し合いを重ね、決断し、実行に移しております。
その一つの試みとして、先日の調理コンテストも、
やって良かった!が、素直な感想です。
そしてこれからも、どんどん吉夢にとって良いと思われる事に挑戦し、
いつも館内が最高最善に活性化され、
皆がひとつの方向に向かって行く事を願って止みません。
秋も深まってまいりました今日この頃、
まずは、吉夢から、皆様へ元気をお届けしたいと存じます!!
ツꀀ
あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように 祈っただろう
あなたがドアを出ていくのを見るのが 最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声を あげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる でももしそれが わたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら
わたしは今日
どんなにあなたを愛しているか伝えたい
そしてわたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも 約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや抱擁やキスをするための
ほんのちょっとした時間をどうして惜しんだかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを どうしてしてあげられなかったのかと
だから今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していることを いつでも いつまでも
大切な存在だといういうことを そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
( 最後だとわかっていたなら ) ノーマ・コーネット・マレック 作
会長 卒寿おめでとうございます!!
今日、お陰様で母は、元気に90歳を迎えさせて頂きました。 数えてみれば、私が嫁いだ時の母が、ちょうど、今の私の年齢。 ちょっとの驚きと、深い感慨が・・・。 早いもので、32年の年月が経ち、身近で、母の生き様を見させて頂き、 最初の頃は、全く何も分らぬ私に、随分と手をやいた事でしょう。 頭脳明晰は言うまでも無く、 物を大事にして、スパッ!!とした性格、身体も丈夫、 父亡き後、女手一つでホテルを切り盛りし、 女将とは、こういう女性(ひと)をいうのだと、まぶしく見上げたものでした。 よく叱られ、よくご注意を頂きましたが、 でもそのお陰様で、今、私はここに立たせて頂いております。 おかあさん!いや会長・・・・ありがとうございます。 これからも、まだまだ私達の傍らに、いついつまでも、どうぞ居てくださいませ。 深い祈りと感謝を込めて・・・・・・。
子供が 小雀 つかまえた。 その子の かあさん 笑ってた。
雀のかあさん それ見てた。 お屋根で 鳴かずに それ見てた。 金子みすゞ (雀のかあさん)
今年もちゃんと、 ニューヨークの弟夫妻から届きましたよ! 『 会長 どこに飾らせていただきましょうか? 』
1985・12・24 ニュー小湊ホテル オープン記念祝賀会にて。
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菊間月によせて・・・・・・。
ほんの少し前まで、残暑厳しかった毎日が、
うその様に、秋の風へと移り変わり、
路地には、真っ赤な彼岸花。
夏から客室係の子達を悩ませていた、首や帯周りのあせもも、
やっと完治して来たようで、ホッとしています。
節電の夏を、皆で乗り切り、
ご苦労様の心を込めた納涼会も、やらせて頂く事が出来、
本当に良かったと、感謝感謝です。
6名の新人さんも、お客様のお部屋までのご案内、
館内のご説明、10月からの衣替えに間に合うように、
只今、着物と奮闘中!!
2名の客室係の主任さんから、着付けのコツや、帯の締め方を習い、
段々一人前に育っております。
お客様から、時折どこから派遣を頼んで来たのか?等と、問われるほど、
自慢になりますが吉夢の客室係の子達は、若く皆可愛いい、私の大事な娘達です
「経営の神様」と謳われ、松下政経塾を立ち上げられた松下幸之助氏は、
現在の野田総理にも、きっと聞かれたと思いますが、
必ず、面接の折、「貴方には運があるか?」と、聞かれたと・・・。
以前読んだ松下氏を書いた書物に、
和歌山の裕福な家に生まれたにも、
父の米相場の失敗で家が没落、
学歴は、小学校4年で中退、
健康面でも、身体の弱いたちで、20歳ごろ肺せんカタルにかかり、
50歳頃まで、寝たり起きたりの生活を余儀なくされ、
「自分の人生のほとんどの部分が、運命によって決められていたのではないか」
「今思えば、運命というものを、自分なりに、あるいは自然のうちに、
前向きに生かしてきたのではないか」と、言われています。
財産が無かったので丁稚奉公に出て、幼いうちから身をもって商売を学び、
事業を始めてからも、お金が無かったから一歩々着実に計画を立て、
お金を生かして使う事が出来、
学問が無かった為、会社に入ってくる人が皆自分より偉く見え、
教えを素直に乞い、その事によって多くの知恵を集める事が出来、
健康面ですぐれなかった為に、若い人達に思い切って仕事を任せ、
大きな仕事をする事が出来たと、書いてあります。
たとえそれがどのようにマイナスに見える事でも、
だから駄目だと考えるのでは無く、
今の自分に出来る事に全力を集中すれば、
『変えられない運命までが、
変わらないままにより光彩を放つようになる』ことを、
松下氏は身をもって指し示し、教えて下さっていると・・・・・。
秋の夜長、テレビを消し、静かな中で読書が楽しみな今日この頃です。
( 現在日没時間 17時10分頃 随分と早くなりました。 お早めにお越し下さい。
湯ぶねで夕日を見ながらまったりと・・・。)
【ぼくには、あらゆる点において成功する要素というものはないわけや。
それがスーッとこうなったんやから面白いと思うんや。
今は新聞記者の人たちが、「経営の神様や」というて紹介している(笑)。
だからぼくは、これは運命としか考えられない。
過去の50年というものは、点数でいうならば、
1点から1万点になったというほどの差があるとぼくは思う。】
(昭和37年、松下氏67歳の時、若い研究員にふともらした感懐の一節)