吉夢通信一覧 女将
睦月によせて・・・。
1月もあっという間に、月末を迎えまして、
先だって、誕生寺さんの団参で、身延山久遠寺、甲府の遠光寺へ行かせて頂きました。
誕生寺の御山も、来月の2月16日、日蓮聖人ご降誕会に、
お題目サミットと銘打ち、「南無妙法蓮華経」の、
お題目を唱える宗派、団体がその垣根を越えて、
一同に介す式典がございます。
バスの車中で、私が40年前に嫁ぐ前から、お勤め下さっている、
吉夢の、生き字引のような社員さんが、
60代の時よりも、70代になってからの方が、
時間の経つのが、もっと速くなると話して下さり、
私、間髪入れずに、「えぇぇ~!!」と、
バスの中に居る事も忘れて、叫んでしまいました。
今でも速いと思っておりますのに、とんでもない事でございます、
これ以上、超スピードになりましたら、どうしたものでしょう。
しかし、お手本のような先輩がおっしゃるのですから、
それは、決して間違っていない事なのでしょう、
ここはしっかり、受け止めさせて頂かないとなりません。
日蓮聖人のお言葉にありますように、
「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。」
人の寿命は無常で、
賢い者も、愚かな者も、老人も、若者も、
いつ生命を失うかわからない儚さが世の常である。
だから、人はまず死に対する心構えについて習い、
その後に、他の事を学ぶべきなのだと言う事でしょう。
神仏は、生きるものの命を無限になさらなかった・・限りある命にした事が、
私どもの学びであり、きっと、人生において大切な時間の使い方、
過ごし方にも通じるものと存じます。
有限だから有難い、有限だから大切にと、必然的に、人生観も変わってまいります。
斯く言う私も若い頃は只々、無我夢中で過ごし、
周りをゆっくり見渡す余裕も、深い思いにも、至れませんでした。
年を重ねても、禍福は糾える縄の如し・・の言葉にもございますように、
常に覚悟を持って生きて行かないといけないと、
昨年の大きな出来事に、深く学んだところでございます。
日の入りも、僅かづつですが、延びてまいりました。
早春の小湊の海は透明度を増し、水仙の香りが萌えております。
歳月人を待たず・・・。
限りある命をいただき、今日も生かされ・・許され・・大きな感謝!!
〇 お客様の笑顔
〇 社員の幸福
〇 地域社会への貢献
吉夢理念の三箇条、
存命中より何かにつけ、会長が我々に伝えて下さってきたものを、
昨年、社長が判り易く、三箇条にして打ち出して下さいました。
本年より、会議の始まりに皆で唱和し、話し合いを始めております。
お客様から笑顔を頂き、その喜びが働く私どもに伝わり、
地域社会へと還元されていく。
その会社の在り方によって、上に立つものが判ると申しても過言では無いと、
年の初めに、更に衿を正して、
心新たに進んでまいりたいと存じます。
暮古月によせて・・・。
寒さが日増しに厳しくなり、令和初めての師走を迎え、
皆さまも、気忙しい毎日を送っていらっしゃる事と存じます。
年の始めには、思いもしない、考えもしない事ばかりが、
この1年の間に起こりまして、
人生には、上り坂、下り坂、そしてまさかの坂があると言われますが、
今年は、まさか!まさか!の連続で、
後半は、それにスピードが増し、ジェットコースターさながらの、1年となりました。
そんな心臓に悪いと思える事ばかりが続いた1年でしたが、
ここまで辿り着け、今ここに居られる事すべてが、
有難い事と、深い感慨の中におります。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。
と、ありますように、焦らず、ゆっくりと、今を味わいながら、
思い通りにならないことが、当たり前だと思っていれば、
不平不満も起こらず、歩んで行けるという事でしょうか。
来年、創業90周年を向かえるにあたり、
今年は大掃除の年、踏みとどまり、見返り、反省の年として、
新生吉夢として、立ち上がり、また新しい一歩の年とする為に、
出てまいりました事柄ひとつひとつの禊を、
厳粛に受け止めなくてはならないと、
私自身、思いを強く、新たに、進んで行く覚悟でございます。
今年皆さまより、賜りました沢山のお陰さまに、深く御礼申し上げますと共に、
来たる年も、何卒ご贔屓賜りますよう、ひとえにお願い申し上げる次第でございます。
元旦には、ロビーで行われる、恒例お餅付き、
午後からは、お茶室での初釜、裏千家の酒井先生と門下の皆様にお出で頂き、
お抹茶とお菓子のお接待、
ファミリーでカラオケ、卓球、夜はロビーコンサート鑑賞等、如何でございましょうか。
社員一同心いっぱいの笑顔で、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。
今日も、夕陽は静かに山へと沈んでまいります。
大いなる命の源で、今日も生かされ許され深い感謝!!
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望みおこらば、困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるより優れり。
( 徳川 家康 )
幼い頃から人質生活が長く、苦労を強いられて育ち、
成人の後も妻子を失い、ひたすら忍耐の道を歩み、
やがて信長、秀吉も叶わなかった天下統一を果たし、
徳川300年の礎を作った祖に、
学ぶところ大と、私も、心に留め置きたいと存じます。
霜月によせて・・・。
朝晩めっきり寒くなり、お布団の恋しい季節となりました。
暑い々と言っておりましたら、大好きな秋を楽しめずに、
朝晩冷え込む晩秋となり、いよいよ、
来月は師だけでは無く、私も走る、師走月となります。
毎年の事ながら、一年のなんと速いこと、
年を重ねて尚更、その思いが強くなってまいりました。
そして、今年の夏以降の、台風災害、
その後に追い打ちをかけるように、豪雨被害と、
15号は千葉の被害が甚大でしたが、
翌月は少し回復して、お客さまが戻っていらしたと思えた時に、
19号で、いつもこちらにみえる栃木、群馬、長野のお客さまが、大きな被災にあわれ、
自分のところの事ばかり、心配していられなくなりました。
その様な中ですが、先日、秋も深まった盛岡は岩手、そして仙台へと行ってまいりました。
当初10月の予定でおりましたが、
ご存知のように、台風の被害に遭われた旅館さんもあり、
11月に日延べとなりましての、研修旅行でしたが、
ちょうど、紅葉の時期と重なり、見事な紅葉見物が車窓から、
また直に観ることが出来ましたのが、今回の大きな収穫となりました。
平泉を本拠地に、東北一帯を治め、栄華を極めた奥州藤原氏、
清衡により建立された中尊寺金色堂は、
屋根、内部の壁、柱などすべてを金で覆い、
まばゆい金と螺鈿の細工に、現代に暮らす私共が感動するのですから、
昔の方は尚更の事、目を奪われ驚かれたと思われます。
その政権の基盤は、奥州で豊富に産出された砂金を元に、
北方貿易を盛んに行い、奥州藤原氏の100年に及ぶ繁栄を、
磐石なものにしたとありました。
栄枯盛衰世の習いと申しますが、
栄えたり衰えたりするのは、当たり前、当然の事と捉えなさい、
ということに行き着くのでございましょうか。
吉夢も、来年お陰さまで 「90周年」 を迎えさせていただき、
また新たな一歩を踏み出します。
誕生寺さんの境内の茶店から、先代の父が興しました吉田屋旅館となり、
私が嫁いだ頃は、ニューこみなとホテル、
新築オープンしまして、ニュー小湊ホテル、
吉亭・夢亭・中央館が一緒になり、満ちてくる心の宿 吉夢と、
現在の名称だけでも、これだけ変わってまいりまして、
その90年の歳月の中には、その折々のご先祖さまの思いや、
ご苦労が偲ばれるのでございます。
創業当時の金銭的なご苦労、(これは今もってと書き添えます。)
木造からコンクリートへの建築、
父の、6人の子供を残しての逝去、その後の母の細腕繁盛記ばりの奮闘、
このブログには、とても書ききれない、
山あり谷ありが、ございまして、現在に至っております。
以前、100年続く老舗企業の上位3位に、旅館・ホテルがあると、
社長に聞いたことがございます。
全国各地にある旅館、ホテルさんも、
その折々の時代に、湯治場から旅館・ホテルへ等、
様々なその時々の、ニーズを捕らえて変化をしながら、
存続して今に至っている事と存じます。
今年、平成から令和へ元号は変りましたが、
私共も変えていくものと、変えずに大事に扱っていくものの、
取捨選択を毎日繰り返しながら、時代に対応し、存続し、
次の100年を目指して行きたいと祈るこの頃、
諸行無常を肌身で感じ、今日も生かされ大きな感謝!!
先日、まいりました東北で、
仙台にお住まいのお若いガイドさんから、
震災のお話、聞かせていただきました。
印象に残りまして、教訓にもなりますが、
地震の折は、遠くに逃げるよりも、高い所に逃げろ!!でした。
津波の奇襲を考えましたら、出来るだけ遠い所に、急いで逃げたくなりますが、
車は災害の時には、非常に危険な乗り物になるそうで、
海と共に生活している私共には、
学ぶところ多々のお話を、お聞きする事が出来ました。
神無月によせて・・・。
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ・・・。 (千曲川旅情 島崎 藤村)
信州を潤し、藤村が愛した清らかな流れの千曲川、
太古より人々の暮らしとともにあり、生活を支え、
その恩恵は計り知れないという。
信州のイメージに大きくかかわるリンゴの生産地として、
養蚕の衰退によって空洞化した地域産業を盛り返し、
河川敷に広がる広大な果樹園は、
肥沃な大地あっての産物といえますが、
水量豊かな川ゆえに洪水がもたらす被害も甚大なものとなり、
流域の人々は、千曲川に助けられ、また時には戦いながら、
今日に至ったと、今回この事があり、初めて知らされました。
台風の影響を大きく受け、その川が、
濁流の川となり、現在、ご存じのように、周辺の被害は甚大なものとなっております。
その様な中、10月は、即位礼正殿の儀の他、
天皇、皇后両陛下の即位に関わる沢山の行事が行われ、
国民にとりましては、国母になられた皇后雅子さまが、
長い闘病を微塵も感じさせず、激務をこなされているご様子を見て、
何より安堵を感じましたのは、私だけでは無いと存じます。
そして、ラグビーワールドカップ2019日本大会、
惜しくも日本は敗れましたが、沢山の感動を貰い、
世界のスーパープレーを、
まだ何度か見られると思うと、胸がワクワク致します。
今まで全く知らなかったラグビーのルールが、
だいぶ判るようになり、にわかファンの私も楽しみが増しました。
何の防具もつけず、体当たりでぶつかり合う、
ラグビーでは、激しくぶつかり合う試合中に、
ついカッとなって相手を殴ってしまうこともあるが、
殴り返した方がより悪いと判断されてしまうというところからも、
日々の練習の時から、カッとならない、感情をコントロールする訓練をし、
ラグビーが、元々自制心を養うスポーツといわれ、
選手も、普段は穏やかな人が多いと言われるのも、
その様なところに所以していると言っても、過言ではないと申せます。
汗と汗が混じり合戦い、試合が終了すれば、
「ノーサイド!!」で、お互いの健闘を称え合う、
これこそ観ている私達を感動させる源になっていると存じます。
大型台風の来襲、天皇陛下の即位、ラグビー2019W杯と、
10月の日本は、歓喜、歓声、失望の声が聞かれました。
私は総括すると、先月に引き続き、ため息の多かった月でしょうか。
カレンダーも、残すところなんと2枚。
今年も日々を生ききったと、我に頷けますよう、
精進を重ねてまいりたきものと存じます。
自然界は、厳しくまた優しく、今日も生かされ深い感謝!!
地元、天台宗西連寺のご住職の奥様から、
毎年暮れになりますと頂きます荒 了寛師カレンダー、
天台宗ハワイ別院の住職で、長くハワイに住まわれ、
ハワイおよびアメリカ本土で布教活動に従事、
その傍ら、ハワイ学院日本語学校、ハワイ美術院などを設立、
日本文化の紹介や普及に努められましたが、
今年の1月に亡くなられたとお聞きしました。
10歳で仏門に入り、
今東光さん(当時 中尊寺貫主)に説得され、
ハワイへ行ったは良いが、天台宗は後発で、
40年間は苦労と貧乏の連続だったと・・・。
子供の給食費さえ払えなく、何とかお寺に人を集めなくてはと、
日替わりで習字や日本画、生け花などの教室を開き、
今東光さんの弟子にあたる、瀬戸内寂聴尼が随分、
心配して何度もハワイを訪ねたとあった。
来年のカレンダーはどうなるのかわかりませんが、
今まで沢山の心に響く言葉を頂き、
ありがとうございました。
夜長月によせて・・・。
生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉 (夏目 漱石)
台風15号の風の強さに驚いたのか、毎年この時期になると教えずとも咲く、
彼岸花の開花が、今年はだいぶ遅れました。
家が揺れ、窓を叩きつける風の音に、眠れぬ夜を過ごした夜半には、
電気も途切れ、真っ暗闇の世界となり、
それから起こった全ての出来事に、右往左往致しました。
電気が通じず電話も、携帯も使えない、テレビも見られず、
充電が出来ても、おおもとからの電波が来ず、携帯も使えずの有様、
当然外の様子が判らなく、周りがどのようになっているかが分からない、
ひとつの台風がもたらした痕跡は大きく、
日常という生活が一瞬でと、自然災害が起きる度に聞かされるこの文言が、
いざ自分に降りかかりますと、なんとも弱いものです。
11日の夜7時を待たずに、電気が通り、
皆の歓声が電話口から聞こえ、
帰って来たばかりの社長も、そのままUターンして、ホテルへ2人で戻りました。
何もかもが初めての経験、何もかもが想定外の出来事に、
たじろぎながらも、傷んだところを早急に改修し、
1日も早い営業再開に向け、業者さんを含め、
皆で復旧作業にあたり、14日には、すべての条件が整いまして、
はれて営業再開の運びとなりました。
毎日、予約のキャンセルが続く中、
全国から千葉へお集まり下さり、暑い夜、寝袋生活なさっていらした、
電力会社さんの復旧作業員の皆さんの、受け入れをさせて頂き、
せめて温かいお風呂、冷房の効いたお部屋の布団で、
お休み頂けましたことは、
常々社長と話しております、吉夢の存在の意味にも通じることと、
10日間、お帰りの夜は遅く、朝の出発は早い皆さんを、少しでもお手助け出来まして、
それは、変え難い有難い経験でございました。
まだまだ台風による被害は、千葉の各地で甚大で、
情報が入らなく、復旧後、毎日テレビで見せられる映像で、
初めて、身近な南房総市や館山、君津や木更津と言った、
なじみの深い場所の被害の大きさを知り、私共も大変驚いております。
昨日もご宴会場の外で、御礼ご挨拶の待機中、
「我々の地域は、幸いにも台風の被害は無かったが、
千葉の復興のお手伝いに飲みしょう!」と、
マイクより聞こえてまいりました。
また、常日頃お世話になっている旅行会社さんや関連の皆さま、
以前お泊まり頂いたお客さまやお知り合いの方が、
わざわざお見舞いにお越し下さったり、
ご連絡や郵送でお見舞いをお送り頂いたりで、
ここのところ毎日のように、人の情けの有り難みを、実感しております。
順々に、お礼状書きを進めておりますが、
先に、この場をお借りいたしまして、様々な皆さまに、
ご心配、お見舞い、激励のお言葉を頂戴致しまして、
私共も勇気百倍!!
賜りました数々のご厚情に深く御礼申し上げ、
これからも、皆さまに気持ちよくお寛ぎ頂ける宿を目指し、
日々精進してまいりますので、お導き、ご贔屓賜りますよう、
伏してお願い申し上げる次第でございます。
秋の夕陽は、海面をオレンジ色に染め色彩を放って、山へと沈んでまいります。
憂い事多い日々なれど、今日も生かされ許され大きな感謝!!
以前、万引き家族という映画を見ましたが、
今回私が経験致しましたのは、『車中家族』
初孫を8月に授かり、1ヶ月と1日での台風の襲来で、
大人は何とか我慢が出来ますが、乳幼児にはこの暑さは堪えると、
早速、日中車へ避難、夜中に家中の窓という窓を開け放し、戻り休むという生活。
翌日、ガソリンを求め、勝浦の在の辺りに目星を付け、
これで無かったら、ガス欠となるという時、
神々しく輝く??一軒のガソリンスタンドを発見し、無事満タンで胸を撫で下ろしました。
夜中2時頃、娘が車が静かにやって来て、怪しい人が2人降り、
何やら自宅を懐中電灯で照らしていると話し、
孫を抱えてコソコソ3人で、家に戻った翌朝5時に家の直ぐ前の電柱に作業の方が見え、
朝8時には、自宅に電気が戻り、感激の一瞬を味わうと、
夜中に懐中電灯で照らしたのは、我が家では無く、
その電信柱だったのは、後で知る事ですが、
夜中の2時に電信柱を点検にみえ、翌日作業は早朝5時からと、
電力会社の復興作業員の皆さんには、昼夜を分かたずの作業に、
本当に頭の下がる思いでした。
その後、孫にあせもをつくらせず、新米パパにお返し出来た事は、
幸いな事で、新米ばーばは、とことん疲れ、
噛んだ唇から出来た口内炎に暫く悩まされた事を、
付け加えさせて頂きたいと存じます。